ABOUT INDIAN MUSIC

INDIAN MUSIC HISTORY

5.ムガール帝国時代

1526年から1857年まで続いた王朝をムガール王朝と言います。 デリー諸王朝最後のローディ王朝を攻め滅ぼしたモンゴル系・トルコ系の支配層からなるムガール朝の初代バーブル王は、自らをモンゴル(蒙古)のチンギス・ハーンの13代末裔と名乗っていました。

1556年に即位した第3代アクバル治世の時代には、当初アフガニスタンから北インドの限られた地域だった領土を広げていき、現在のパキスタンやバングラ(バングラデッシュを含む)地方、そしてインドの中心部デカン高原地域までも併合していき、広大なムガール帝国を築きアクバル大帝と呼ばれるようになります。

アクバル大帝は軍事・戦略的にすぐれた王であっただけでなく、文化・芸術に対しても造詣が深く、手厚い保護を行った王としても有名です。当代最高の音楽家として讃えられていたミヤーン・ターン・セン1562年に自らの宮廷に召し抱えます。ターン・センは当時、歌手としてもヴィーナ(ヴィーン)奏者としても 秀でた才能の音楽家でした。

彼が残した「ミヤン・キ・トーディー」「ミヤン・キ・マルハール」「ダルバリ・カナラ」などのラーガはラーガというメロディーのシステムの可能性を最大限に引き出された創作で、 現在でも最も多く取り上げられ、唄われ演奏されるラーガでもあります。他にも「ミヤン・キ・サーラング」 「ダルバリ・トーディー」など多くの傑作を残し、インド音楽史上最もたたえられている音楽家の一人です。

また各地の王も自らの宮廷に音楽家を召し抱え、音楽は王の庇護のもと宮廷音楽としての発展を遂げていきます。

第6代アウラングゼーブ王の時代には領土はヒンドゥー国家マラータ国を除く 全ての地域を支配するまでになりますが、広大になりすぎたためか治世の失敗か次第に求心力を失っていきます。  そして1707年アウラングゼーブ王の死後には帝国内から多くの離反者が現れ、 またマラータ国や植民地支配をもくろむイギリスをはじめとするヨーロッパ勢との戦いに敗れ、 領土はわずかデリー城の周辺のみにまで衰退してしまいました。

後にカルナーティック音楽の3楽聖と呼ばれるシャーマ・シャストリ、ティヤガラージャ、ムットゥスワミ・ディクシュウタールの3人は、18世紀半ば同時代に南インドのティルヴァルールに生まれました。 彼らは優れた作曲家として現在も好んで唄われ演奏される楽曲の多くを遺しています。